世界のプロレフリーが語る「ラグビーが教えてくれたこと」
スポーツの産業化に向けて
こうしたプロレフリーとしての経験やスキルは、平林さんの活動の幅を広げていった。いまでは、日本フットサルリーグに所属する「バルドラール浦安」のクラブコーチングコーディネーターやスポーツ以外の団体への人材育成プログラムの提供など、その活躍は、ラグビーレフリーだけにはとどまらない。
また、2019年のラグビーワールドカップ日本大会や2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催を契機としてスポーツ市場が盛り上がるなか、平林さんは出身地の宮崎県で「スポーツ推進アンバサダー」を任命され、スポーツの産業化に向けた活動に尽力している。
この活動を始めたとき、平林さんは「スポーツに対する認識が旧態依然としていた」ということに疑問を持ったという。
「スポーツを論じるとき、どうしても文化性や公益性のイメージが先行して話が進んでいきます。しかし、それだけでは産業は成立しません。まずは、スポーツに経済性を付加し、誰もが生産活動できるマーケットにしていきましょうと提案しました」。
そうした、提案を皮切りにスポーツの産業化に向け、さまざまな団体や他産業との連携の模索が始まった。
「現在、スポーツ産業というと、主に『施設』・『サービス』・『用具・用品』といったカテゴリーで成り立っていますが、今後はファッションやアミューズメント、医療、観光などの他の産業とハイブリッドしていく発想が必要です。そのためにはITやメディアを活用し、マーケットを煽り、広げていくことも重要となっていきます」。
また、「スポーツ産業の成功には、レガシーが重要であり、レガシーがないとスポーツの価値がなくなってしまいます。そのためにも、レガシーで遺したものをその先に運用していくプログラムも同時に考えていかなければなりません」と平林さんは強調した。
ラグビーを通して、多くのことを教わったという平林さん。今後は、こうした経験を国や地域、そして、それを担う子供たちのために貢献していきたいと想いを語ってくれた。
トーク終了後には、世界のトップレフリーとして試合マネージメントをおこなってきた平林さんからの提案で「マネージメントとはなにか?」をテーマにしたワークショップが開催され、イベントは、終始大盛況のうちに終了した。
<Oct.2017 小出 伸作(WAO事務局)>
世界のプロレフリーが語る「ラグビーが教えてくれたこと」
平林 泰三
ラグビーレフリー。5歳で宮崎ラグビースクールでラグビーを開始。19歳で宮崎県協会C級、21歳で九州協会B級、クイーンズランド州公認審判員資格も取得。
1999年にプロレフリーとして活動を開始。
2005年には当時最年少の28歳で日本協会公認A1級審判員となる。
2007年レフリーとして史上初めて日本ラグビーフットボール協会と契約を結ぶ。
2003年~2005年に日本IBMの分析・テクニカルスタッフ
2007年~2014年に日本代表の分析・サポートスタッフとして参加
ワールドラグビーエデュケーター/宮崎県スポーツランド宮崎推進アンバサダー/NEWSWEEK「世界が尊敬する日本人100人」/トップリーグベストホイッスルを3度受賞。
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