EVENT REPORT

Apr 2019

~自分たちの知らない世界を知る~
難民の人たちと話して知る、自分たちの知らない日本とは

難民当事者から語られた“私たちが知らなかった世界”

難民当事者から語られた“私たちが知らなかった世界”

難民当事者から語られた“私たちが知らなかった世界”

今回イベントに参加してくれたのは、アンゴラからやってきた男性Aさん、バングラデシュから来た男性Bさん、カメルーンから来た女性Cさんと男性のDさんの4名。

“難民”という言葉で一括りにされがちだが、当然のことながら彼らの故郷やそこで起きていること、日本へやってきた経緯、日本での立場や生活など、バックグラウンドはそれぞれ異なる。

たとえばAさんは、故郷アンゴラの政治情勢の悪化によって国を出ざるを得なくなり、日本にたどり着いた。しかし、Aさんは成田空港の入国審査を通過することができず、そのまま収容施設で約1年間過ごしたという。

「現在では、収容は免れたものの“仮放免(在住は許可するが就労は不可)”という立場のため、その延長手続きで2カ月ごとに東京入国管理局を訪れなければなりません。そんな私にとってWELgeeの仲間は家族のような存在です。今は千葉にあるWELgeeのシェアハウスに住んでいて、難民の人たちと日本人や日本の社会をつなぐコミュニティをつくっていくことが私の夢です」。

続くBさんは、バングラデシュからやってきた。故郷では、織物やアパレルの専門商社でバイヤーとして活躍していたという。同時に、民主主義が不安定で、専制的な政治を行う政府への反対運動にも参加していたそうだ。

「反政府活動が理由で、政府からの拷問や襲撃事件などもあり、自分の命を守るためには国を出るしかありませんでした。国を出ると決めた時、難民亡命希望者にとって最も安全な国を探していて日本を見つけました」。

しかし実際の日本は物価がとても高く、仕事なしで生活するのはとても大変にもかかわらず、難民申請中は就労許可がもらえない。

「毎日その現実に直面し気持ちが沈みます。それでも私は日本の文化や伝統が大好きです。どこへ行っても美しい場所があり、人々は優しい。今はなにもすることがなく、週に一度教会に日本語を勉強しに行くだけですが、将来的には以前のキャリアを活かして貿易をおこなう仕事をしたいと思っています。限られた時間しかない人生を幸せに生きることを願っています」。

Cさんはカメルーンでは大学で金融とマネジメントを専攻し、卒業後はその知識を活かして銀行でマネージャーとしてキャリアを積んでいた。音楽を聴くことや料理、水泳が好きだが、日本ではどこで泳げるかがわからず、来日以来一度も泳げていないと話す。

「日本で最も困っていることは言語の壁です。日本語をうまく話せないため、自分の思っていることを表現したり相手に理解してもらうことが難しく、ちゃんとした職に就くこともできません。また、“難民”という立場であるだけで、偏見を持たれることもあります。日本の皆さんには、私たちが国を出たのは私たちがなにか問題を犯したからではないということを知ってほしい。国で問題が起こったために仕方なく国を出ざるを得ない状況になり、なにも知らない環境で、ゼロから自分の生活をつくらなければならないのです」。

彼女が求めているのは、ただ安全で安定した生活と、家族のような人たちの輪をつくること。しかし言語の壁以上に、日本の社会に溶け込むこと、社会の一員になることが非常に難しいと感じているという。

「外から見た日本はすごくキラキラしていました。しかし、実際に来てみると日本では一人ぼっちで過ごすことがとても多く、仕事や家族、カメルーンで楽しんでいた人生が恋しくなります。それでも希望は持ち続けています。日本でも前のような仕事に就いてキャリアを積んでいきたいですし、新たなことも勉強したいと思っています」。

最後に、同じくカメルーンからやってきたDさんは、大学で英語を専攻して学士を取得し、英語教師として働いていた。カメルーンは、かつてフランスに支配されていた国と、イギリスに支配されていた全く別の国とが一つになってできた国だ。それが現在のカメルーンの問題の発端となっており、少数派である元イギリス領の人々は元フランス領の人々から差別を受けているのだという。Dさんは、その元イギリス領の出身だ。

「日本に来て日本が大好きになりました。人々は熱心でまじめで、集中力が素晴らしく、僕もこれを学ばなければいけないと思いました。でも、日本にいる難民の状況はとても複雑で、世界各国から来ている多くの難民の若者たちが無職です。実際僕も日本に来て5年のうち3年は無職でした。『なぜ働かないの?』と聞かれることもありますが、働きたくないのではなく、日本の法律が難民に働くことを許してくれないのです」。

現在、Dさんは仕事の傍ら、WELgeeと一緒に難民について知ってもらうための講演を行っているという。

「僕たちは日本が大好きです。でも日本人に伝えたいことがある。多くの難民が日本を訪ねてきていますが、ほとんどが才能の持ち腐れで自分の能力を活かせていません。彼らにチャンスをあげてください、このすばらしい国、日本に入れるように。その希望を持って彼らは日本を訪ねてきているのです。難民になりたくてなる人なんていません。誰も難民という名前を背負いたくはないんです。だからこそ、とても難しいということはわかっていますが、色々な人たちを受け入れて、“難民たちと共に働くことができる日本”というすばらしい国を一緒につくり続けていきましょう」。

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~自分たちの知らない世界を知る~
難民の人たちと話して知る、自分たちの知らない日本とは

渡部 清花

NPO法人 WELgee代表 / 東京大学大学院生
1991年、静岡県生まれ。​​様々な背景を持つ子どもたちが出入りするNPOの実家で育つ。大学時代はバングラデシュの紛争地にてNGOの駐在員、国連開発計画(UNDP)のインターンとして平和構築プロジェクトに携わった。2016年​に​​​日本に来た難民申請者の社会参画とエンパワーメントを目指す​WELgeeを設立。2018年NPO法人化。空き家活用型シェアハウス事業や経験・スキルを活かした就労事業に取り組む。自身も難民と暮らす。英語より得意なのはバングラデシュの先住民族語(日本人で2人しか話せない言語)!
グローバル・コンソーシアムINCO主催『Woman Entrepreneur of the Year Award 2018 (女性起業家アワード2018)』で、グランプリを受賞。Forbes 30 under 30のJapanとAsia にて選出。東京大学大学院 総合文化研究科・人間の安全保障プログラム 修士課程在学中。トビタテ!留学JAPAN一期生。内閣府世界青年の船事業第24回代表青年。

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