EVENT REPORT

Jul 2017

~LGBTを考える~「自分らしく生きる」という選択

自分は何者なのか

「私は幼少期から自分の性別に違和感を持っていました。物心がついたときから、『男に生まれて残念だった』という思いを抱えながら過ごしていました」。

当時は、いまのようにLGBTの知識がないどころか、言葉すらも耳にしない時代。幼い西原さんは、自分が何者かわからなくなったときもあったという。

「小学校に入学するとき、当たり前のように親から渡された男の子用の黒いランドセルが好きになれなかったんです。ただ、そのときに“性別を変えたい”と口にしても、社会だけでなく、家族にも認めてもらえないことは、子どもながらに理解していてたので、誰にも本当の気持ちを伝えられませんでした」。

中学生になった西原さんは、テレビで見たドラマをきっかけに「性同一性障がい」という言葉を知り、次第に、自身も性同一性障がいだと認めるようになった。西原さんは当時の心境をこう語る。

「当時、社会は、性同一性障がいに寛容な状況とはいえなく、もしかしたら、自分はこのまま社会から外れた人生を送ることになってしまうのかと、不安になっていきました」。

不安な想いと、性別を変えたいという想いが錯綜するなか、西原さんは“自分”について調べはじめる。そして、16歳のとき、ネット掲示板の「女性ホルモンをカラダに投与すれば、性別が変えられる」といった書き込みを目にしたことから、女性ホルモンの投与をはじめたそうだ。

女性ホルモンの投与を続けるうちに、西原さんのカラダに変化が起きてきた。周りの男の子は髭が生えたり、筋肉がついてきたりと、男性らしく成長していくなか、西原さんは女性っぽくなっていく。そうした西原さんの成長を親は心配したという。

「親からは、『男の子らしくしなさい』といわれ続けました。男の子らしくなりたくないから、女性ホルモンの投与をおこなっていたんですが、そんなことは親にいえなく、親子の関係は悪化。結局、私は家を飛び出し、インターネットで見つけたLGBTのコミュニティ施設で暮らすことを決めました」

その後、西原さんは、大学に通うまでの間、この施設で過ごすことになる。

“ただ幸せになりたい”だから、ここに立っている

“ただ幸せになりたい”だから、ここに立っている

“ただ幸せになりたい”だから、ここに立っている

大学卒業後、一般企業への就職を希望した西原さんは、広告代理店に入社。

「私は、普通の日常に憧れていました。家族や友だちと仲良く過ごし、愚痴をいいながらも会社に通う。そんな普通の日常が欲しかったんです。そこで、私は一般企業に就職することを決めました」。

女性として面接を受けた西原さんだが、会社の一部の人へは、入社前に自分が男性だということをカミングアウトした。それでも、会社は受けいれてくれて、3年間、OLとして勤めた。

「会社生活は大変貴重な体験でした。ただ、入社して3年後に退職しました。理由は、性別適合手術を受けるためです。性別適合手術は、カラダの回復までに、最低でも半年から1年はかかると聞いていました。そんな長い期間、会社を休めるわけはなく、私は辞表を提出しました」。

タイでおこなった性別適合手術は無事に終わり、西原さんは“やっと、女性としてのスタートラインに立てた”と思った。しかし、その思いも束の間、現実の社会の厳しさに直面することとなる。

「性別適合手術を受けた後、名前も変え、親にもカミングアウトをしました。しかし、認めてはもらえませんでしたね。また、戸籍というのも残酷で、男性のころの名前が永遠に残ってしまうんです。やっと自分が望んだ女性になれたと思ったのに、やっぱり男性としての過去は消せないんだと、改めて気づかされました」。

友だちにカミングアウトをした際、「いま女性として成り立っているんだから、他の人にはカミングアウトはしないほうがいい」と、アドバイスを受け、男性だった過去は、隠して生きていこうと考えたりもしたという。

「自分に嘘をつきたくなくて、男性から女性にカラダを変えたのに、今度は生まれながらの女性です、と嘘をついて生きていく。どっちにしても私は、なにかを偽って生きることしかできないのかなと思い続けるうちに、精神的にも辛くなってきました」。

“自分らしさってなんだろう”、“なんのために生きていくのだろう”という自問自答を繰り返したという西原さん。しかし、ある考えを境に西原さんは、新たな決心をする。

「あるとき、このまま死んだら、自分の人生に大きな後悔をするんじゃないかって考えたんです。それってやっぱり嫌。自分は、このカラダだけど、むしろこのカラダに生まれて良かったと、自分を肯定できる後悔しない生き方をしてやろうと思いました」。

そう思った西原さんは、自分のありのままの姿で表に立って生きていくことを決めた。

「多くの人に、トランスジェンダーやトランスセクシャルのことを知ってほしいから、いまもここに立っています。なぜ、そんなことをするのかと思う人もいるでしょうけど、その答えはとってもシンプルで、“ただ幸せになりたいから”、その一言に尽きます」。

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~LGBTを考える~「自分らしく生きる」という選択

西原さつき

乙女塾 代表/モデル/タレント。16歳からホルモン治療を開始。大学卒業後、広告代理店でOLとして勤務。就業中に戸籍名を女性名に変更。2013年 タイで性別適合手術を受ける。2015年 タイで行われたトランスジェンダーの世界大会「MissInternationalQueen 2015」にて特別賞のフォトジェニック賞受賞。現在はLGBT関係の講演会、モデル、テレビ出演、執筆などの仕事を中心に行なっている。性同一性障がいの方のための女性化レッスン『乙女塾』代表講師。
西原さつきオフィシャルサイト:https://www.satsukipon.com/

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